言葉は一番知りたい事を教えてくれないが、おおよその真実は知れるという僅かな可能性、希望。

 

言葉について。

僕はこれまで情報発信を通して、

少なくとも100万文字以上は綴ってきた。

 

ブログは120記事くらいだけれど、

平均で1記事3000文字とすれば、

約36万文字。

 

メルマガは改めて計算してみたところ、

500通以上は書いてきていた。

 

これも同じく1通で3000文字だとすれば、

約150万文字という計算になる。

 

書き直して今はもう形として存在しないものも、

含めたらもっといくだろうと思う。

 

 

本もたくさん読んできた。

これに関してはもう定量的に数えられない。

 

元々は国語が大の苦手で、

四角い枠の中にどんな言葉を埋めたら良いか、

分からなくて平均点より点数が低かった。

 

本が嫌いだった。読んでも分からなくて、

眠くなるだけで退屈だったから。

 

 

でもいつからかこうして、

大量の文章を書き続けるようになっていた。

 

わざわざ書店まで足を運んで、

何百冊という本を手に取るようになっていた。

 

そうやって、言葉についての理解を

少しばかり深めてきて、

気付いたことがあったので今回はその話を。

 

 

「伝え手となった際の言葉は、ものすごくクリアなのに、

受取り手となった際の言葉は、非常に難解である。」

 

 

大丈夫。と元気そうに言っていた人が

急にLINEの既読がつかなくなり、

 

10日近く過ぎた頃にようやく返信がきたと思ったら、

病んだ心を浄化する目的で、山梨の自然の中に

篭ってたという話を語り出したり。

 

楽しかった。また会おうね。と、

夜の少し洒落たレストランで約束したのに、

それ以降きっぱり音信不通になってしまったり。

 

これから仲良くしようね。と、

入学したての大学の集まりで言ってたはずなのに、

気付けばLINEで連絡すら取っていなかったり。

 

 

伝え手はその言葉の意味を知っているものの、

それを決して受取り手には教えない。

この一方性と不可逆性はずるいと思う。

 

大抵の場合、

大丈夫。という人は大丈夫じゃないし、

また会おうね。に次回は無いことが多いし、

仲良くしよう。に特に深い想いはない。

 

 

もちろん一概にはそう言えないけれど、

これまでの経験上そんなことが多かった気がするし、

 

誰しもこれと似たような状況を

一度は経験したことがあると思う。

 

 

逆に側から見て大丈夫かなと、

心配になってしまう人ほど元気だったり、

 

また会おうね。という口約束にこだわらない時ほど、

再びすぐに会うことができたり、

 

別れ際を長引かせずに、

じゃあまた。とだけ言って別れる。

そんな、淡白な人ほど付き合いが長く続いたりした。

 

 

そんな不思議な現象を何度も体験してきた。

何だろうこの言葉という難解で矛盾した世界は。

と、その現象と遭遇するたびに頭を悩ませた。

 

言葉を信じられなくなった夜もあったし、

何でもまずは疑いから入ろうと孤独に近づいた時もある。

 

 

でも、そうやって感情が混濁した中で、

一周まわって見えてきたのは、

 

「言葉は真実を教えてくれないものの、

真実のおおよそを知ることは出来るんじゃないか」

 

ということだった。

 

 

何度、誰かの言葉に翻弄されてしまっても、

誰かの言葉に裏切られてしまった過去があっても、

 

その言葉の奥にある真実を知ろうとする姿勢だけは、

決して崩してしまってはいけないと思う。

 

言葉はあちらから真実を教えに来てはくれないが、

自分からおおよそを知ることは出来る。

 

もしかしたら違うかもしれないなと思っても、

僅かな可能性を信じたい。そこに希望を灯したい。

 

それすらも失ってしまえば、もう本当に、

受取り手としての言葉は意味を失ってしまう気がするから、

それだけは避けたい。

 

 

隠と陽という考え方がある。

影と光は常にセットであるということ。

 

言葉と心の関係はまさにこれなんじゃないか。

と最近になって思い始めている。

 

普段は、冷静で全くと言っていいほど喋らないのに、

飲み会でアルコールが入ると急にマシンガントークで、

別人のように語り続ける友人がいた。

 

きっとこれまで、感情を抑え込んで、

自分が引くことで物事を上手く進めてきたんだろうな。

本当はあの時語りたかったことがあったんだろうなと思った。

 

 

好きなタイプは?というありがちな質問に対して、

優しい人かな。とありがちな回答をくれた人がいた。

偏差値の非常に高い私立学校育ちの医学生。

 

その時は、その言葉の意味を表面的に、

そのまま受け取って、

 

簡単に納得してしまったけれど、

そうすべきではなかったなと今になって思う。

 

 

今思い返してみたら、本当は、会った時に、

いつもの硬い規範から、ほんの一瞬だけ逸脱させてくれる人、

 

ごく一般的な遊びや日常に引っ張ってくれる、

非日常的な人を求めていたんだろうなと思ったりする。

 

 

というように、多くの場合、

表面的に現れる言葉と心は相反していたりする。

 

だから、ご飯を食べに行ったときに、

「最近は楽しくて毎日が充実してるよ。」

とシラフで、ノンアルのジュースを口に運ぶ人が、

どこか心に小さな孤独を抱えているような気がして、

 

「何かあったらいつでも話してね。」

なんて、ふいに声をかけてしまうようになった。

 

 

受取り手として言葉に翻弄され続けてきて、

そんな真実が少しずつ、でも明確に浮かび上がってきた。

 

ここまでで色々と話してきたように、

言葉はあちらから真実を教えてくれないが、

 

こちらから歩み寄ることによって、

おおよその真実は知ることができる。

 

 

言葉というのは、矛盾しているようで、

全くもって訳が分からない生き物のように見えて、

一番知りたいことを隠すズルイ存在のように思えて、

 

実際は、最も正直な存在なのかもしれないなと、

感じたので、その僅かな可能性と希望を、

ここに残しておこうと思う。

 

 

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最後まで読んで頂きありがとうございました。